2013年 12月 21日
ちょっと前の春山さんの一連のイスラムに関する著作に刺激されて、僕も幾つか本を読んでみたので自分なりの感想を。 豊健活生活:春山昇華 (目次)宗教の呪縛から抜け出せないムスリムたちの国々 イスラム教にはもともと興味があって、現代中東や石油・ガス市場に与える影響の大きさだけでなく、歴史上でのイスラムの役割とか、経済成長ないしは停滞を生み出す要因を知りたかったからでもある。いろいろと読んで理解は深まったけれども、結論は出なかった。あたりまえだけどw それでも、自分なりの拙い理解をまとめとこうと思いまして。読んだ本は最後に一覧で。 【イスラムの没落はいつから始まったのか?】 Maddison Project という、長期時系列の一人あたり実質GDP(購買力平価 = PPPベース)を計測しているところがあって、そのデータを参考にさせてもらった。下図は西暦1年から1935年までの推移。縦軸は一人あたり実質GDP(PPP, 1990年米ドル)、対数目盛。 古代~中世のデータが揃っている国はあまりなくて、中東からイラク、トルコ(ビザンツ)、エジプトを、西欧から英国、スペインを選んでみた。 イスラム世界の(相対的な)没落がはっきりしたのは、第二次ウィーン包囲から続く大トルコ戦争を終結させたカルロヴィッツ条約(1699年)だろう。これによってイスラムの盟主オスマン朝は、キリスト教世界に対して初めて決定的な敗北を喫し、広大な領土を失った。この後、ナポレオンのエジプト上陸(1798年)やゴレスターン条約(1813年)におけるロシアのカージャール朝ペルシャへの侵略などが続くが、それは、西欧/キリスト教世界に対する優位性を信じていたイスラム世界が、実は劣後しているのだという認識を深めていく過程でもあった。現在にまで続く、イスラム教徒にとっての宗教・信仰を含めた価値観が問われる内面的な問題の始まりだった。 では、イスラム世界の相対的な劣後や没落はいつから始まったのかというと、当然、カルロヴィッツ条約以前に原因があるはずだ。Maddison Project のデータによれば、7世紀のイスラム誕生から11世紀頃まではイスラム世界の一人あたりPPPは西欧を上回っているが、少なくともルネサンスが始まる14世紀にはすでに逆転していたようだ。 もちろん、一人あたりPPPが相対的な国力を表しているとは限らない。現代の中国のように、一人あたりPPPが低くとも、人口の多さや中央集権的な政治体制、軍事力への傾斜などが国力を表すこともあるだろう。しかし一人あたりPPPの推移を見ると、14世紀以降の西欧/キリスト教世界が着実に成長・発展していったのに対して、イスラム世界は没落ないしは停滞を続けていた、という変化の方向性は伺える。 西暦1000年から2010年までの、英国と比較した一人あたりPPPを見ると、エジプトやトルコの相対的な所得水準は現在においても英国の18%(エジプト)、35%(トルコ)でしかない。これは、ナポレオンのエジプト上陸のときと同じ水準であり、カルロヴィッツ条約締結時を下回っている。長期的に見れば未だにイスラム世界は劣後したまま、と言えるだろう。
by guranobi
| 2013-12-21 20:59
| イスラム
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